誰しも、自分の最期の姿を思い浮かべたことはない、なんて人はいない。
少なくともこのブログの読者層にはいない、いてほしくない、のは筆者の望み!
それはまずないはず。
一定の年齢、、、私は還暦ぐらいに達すると残された時間はどのくらいあるのか? とまずは考えることでしょう。
「いや、考えたことはない!」という方もたまにはいらっしゃるかもしれませんが、私とは話は合わないかもしれない。
自然と自身の終わりを予想、夢想して、その時の準備を考えようとするのは人間の脳みそが高等だからです。
動物には自分の死期を悟ることができるらしいですが、それはその瞬間を悟るのであって、
生きている限り生物はいつかは必ず、だ。
そこを知り、じっくり準備ができる人間は素晴らしいと思うわけです。
知っているからこそ今を思いっきり楽しんで生きることを望むのです。
すこし正直、その瞬間を迎えるときが楽しみなのです。
もちろんせっかくこの世に生まれることができたのです。
ギリギリの最後の最期まで生命力を振り絞って、命を使い切ることにしているわけで、きっとケチなんです。
こういうことがわかるように? 理解できるようになるまでは、けっこう無駄にしていたんだと思うのです。
思えば44歳の春まででした。
本気で本心で神や仏に祈った日々まででした。
人間、面白楽しく生きて最期は「お~来たか~」と逝く!
これです。
間違いない。
これも人生哲学といってもよいのでは?
このブログ、孫や子孫、身内のこと、人間のこと、死の話もあってバラバラに見えるかもしれないけれど、一貫しているのは私の人生論のようなもので、哲学かなぁ? 哲学の範疇に入れてもらえるかはわからないけれど、思うことを臆することなく書いていきます。
なんてな
またな。
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